2008年1月14日 (月)

暮しの中の仏教語 第206話

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-----------------暮らしの中の仏教語 第206話---------------

*******今回のお話は「帰家 帰舎 帰真」*********************
                     毎月10.20.30日発行
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第206話 通算865話 帰家 帰舎 帰真 
 
最近、一人暮らしの人が増えてきました。
家屋はあるのですが家庭はなく、
「お帰りなさい」と言ってくれる人がいません。
英語で言えば「ハウスはあるけどホームはない」
ということです。
人間の「家」は、動物の「巣」にあたります。
夫婦とか親子という家庭が形成されていない巣は、
単なる「ねぐら」でしょう。

今や此の塒(ねぐら)さえ持たない人まで出現し、
ホームレス(ハウスレスなのに)と呼ばれているようです。
皆様は帰る所がお有りですか?
帰ったとき「お帰りなさい」と言ってくれる人は
居らっしゃいますか?
 
さて、
私達動物には帰家性・回帰性・帰巣性
などと呼ばれる本能があり、
「帰る所が有る」という事がとても重要です。
帰る所つまり家に帰っていつもの場所に座ると、
何故かホッとしますね。
この事を帰家穏座(きかおんざ)と言います。

仏教語としての帰家穏座は、
「人間が生まれながらに持っている仏性に帰って安住する」
ことです。
帰舎も宿舎に帰る事ではなく、
「本来の自分に安住する」ことですし、
帰真も「真のところに帰る」ことですから、
帰家・帰舎・帰真は同じ意味だと言えるでしょう。
私達が帰るべき元々の所は「真如の世界」です。
仮の世の家など無くても、愁えることはありません。

 この世の家を失っても、真如の世界に帰れば、
「お帰りなさい」と言ってくれる方が居らっしゃることを
知りましょう。私達をこの世に送り出した方々です。
真如の世界にいらっしゃるご先祖様・仏様が、
この世に生きる私達を見守り、
励ましている事を自覚しましょう。

住処のどこかに仏様をまつり、
仏様に向かって「ただいま」と言ってみて下さい。
きっと「お帰りなさい」と言ってくれるでしょう。
また出かけるときは「往って来ます」と言って下さい。
「往って来っしゃい」と送り出してくれるでしょう。
励ましてもくれます。
仏様と歩む人生に孤独はありません。

 
    終わり
 
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編集後記
  
 皆様は旧暦と新暦を、
どのように使い分けていらっしゃいますか?

 今年の元旦は先負でした。
旧暦に徹するなら、元旦は必ず先勝です。
旧暦の元旦、つまり新暦の2月7日の六曜で確かめて下さい。

 新旧の組み合わせ方で、変な日が出現します。
迷信に振り回されないように致しましょう。
仏法に耳を傾けていれば、よい1年が暮らせると思います。

 今回もこの原稿をお読みいただき、ありがとうございました。 

                                                 A.K.
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2008年1月 8日 (火)

暮しの中の仏教語 第205話

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-----------------暮らしの中の仏教語 第205話---------------

*******今回のお話は「留学 留学生」***************************
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 第205話 通算864話 留学 留学生
 
留守の留をルと読むように、
留学は昔、呉音でルガクと読まれていました。
意味も「中国からインドへ行き、あるいは日本から中国に渡り、
そこで長期間滞在して学問をすること」を指した言葉です。
漢音でリュウガクと読まれることになったり、
留学先がインドや中国以外の外国にもなったのは、
近世になってからの事ですね。

また、留は「とどまる」意ですから、
二十年とか三十年という長期間でなければ、
留学とは言いませんでした。
学生は学問僧のことでしたから、留学生とは、留学する学問僧、
つまり留学僧と同義ということになりますね。
遣隋使や遣唐使と一緒に行って、短期間だけ学んでくる僧は、
留学僧に対して還学僧(げんがくそう)と言われました。
今のように、短期留学とか国内留学等という言葉は
無かったことになります。

学生(がくしょう)の解釈も時代と共に変わりました。
本来は「外国の典籍を学ぶもの/
寺院に寄寓して外典を修学するもの」の意だったようですが、
伝教大師や弘法大師が「仏教を学ぶもの」の意に用いた事から、
「寺院で仏教を学ぶもの」「戒定慧の三学を実践修行するもの」、
更には「一般に学問の深いもの」をも指す言葉になりました。

今日ではガクセイと読んで、
「学校とくに大学で学ぶもの」を指す言葉になっていますね。

私達にとって、「学ぶ」という事は大切です。
僧であろうが僧でなかろうが、若かろうが若くなかろうが、
内典であろうが外典であろうが、
前向きにドンドン学んでいきましょう。
自分の立場や好き嫌いで、学ぶことを限定してはいけません。

信心銘(しんじんめい)に「至道無難 唯嫌揀擇・
至道は難きこと無し 唯揀擇(けんじゃく)を嫌う」とあります。
「覚る事は易しい、唯、えり好み・えり嫌いしないことだ」
と教えているのですね。取捨憎愛は煩悩です。

    終わり
 
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編集後記
   
新年になってから、もう十日以上経ちました。
皆様には、心を新たにして、お暮らしのことと思います。

 心を新たにするとということは、心の垢を取り除くことです。
年頭に限らず、毎朝、洗顔と共に心も洗い清めましょう。

 部屋が汚れたら掃除をします。体が汚れたら入浴します。
心が汚れたら仏法を思い出しましょう。
そうすれば年中、リフレッシュされた心で、
気持ちよく暮らせると思います。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。
                                                 A.K.
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2007年12月27日 (木)

暮らしの中の仏教語第204話 

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-----------------暮らしの中の仏教語 第204話---------------

*******今回のお話は「えっさ よいさ よいしょ」*************
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第204話 通算863話 えっさ よいさ よいしょ
  
「えっさえっさえっさほいさっさ・・」という
〈お猿の駕籠や〉の歌詞があります。
駕籠ばかりでなく、
二人以上で何か重い物を引く時や持ち上げる時、
掛け声を掛けてタイミング良く力を合わせると、
うんと軽くなりますね。

「えっさ よいさ」の掛け声については、
こんな話が伝えられています。
京都の鴨川(賀茂川)は昔から暴れ川で、
流れが緩やかになる高瀬川との合流付近には、
いろんなものが流れ着いていました。
漂着物の中には、なんと梵鐘まであったのです。
 
流れ着いて沈んでいる鐘を見つけた人々は、
これを引き上げようとしましたが、
重くてどうしても上げる事ができません。
話を聞いた建仁寺の栄西禅師は、
「我が名を呪文にして引き上げよ」とアドバイスなさったそうです。
みんなで「えいさい ようさい」と掛け声しながら力を出したところ、
鐘はなんと軽々と引き上げられたではありませんか。
栄西が「えっさ よいさ」と訛った事は、容易に想像できるでしょう。

 このとき上げられた鐘は、
源融(もなもとのとおる)の六条河原院の遺物で、
以後は建仁寺鐘楼に釣られました。
また、呪文を唱えながら引き上げたので、
「陀羅尼の鐘」として親しまれております。

「よいしょ」の場合は、
「どっこいしょ」から変わったものと解する事ができましょう。
「どっこいしょ」は六根清浄の訛ったものです。
山伏が山に登るとき、
「六根清浄」と掛け声を掛け合いながら登ったのが元ですね。
眼耳鼻舌身意の六根を清浄にして力を合わせれば、
何倍もの力が漲る事請け合いです。

 力を出して何かをしなければならないとき、
呪文を唱えながらやってみましょう。
立ち上がるときも、自分に一声掛けると、随分楽に立ち上がれます。
唱名や呪文の力はあなどれません。  

 
    終わり
 
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編集後記
   
新年おめでとうございます。
年があらたまると、なにか新鮮な気持ちになりますね。
リフレッシュされたようです。

 新年は暦の上であたらしくなったのですが、
自分をリフレッシュする努力は、一年中、必要です。

 除夜の鐘を撞いて煩悩という汚れを落とすばかりでなく、
毎日聞く暁鐘・晩鐘で煩悩を振り落とし、
新鮮な気持ちを維持できたら、何よりでしょう。

本年も前向きにレッツゴウ!
これからもご愛読をよろしくお願い申し上げます。
 
                                                 A.K.
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2007年12月16日 (日)

暮しの中の仏教語 第203話

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-----------------暮らしの中の仏教語 第203話---------------

*******今回のお話は「沈淪 沈没 沈溺」*********************
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 第203話 通算862話 沈淪 沈没 沈溺
 
沈も淪も「しずむこと」を指しますから、
沈淪(ちんりん)は沈む事を強めた言い方ですね。
没も沈む意ですが、「もぐる」と解しておきましょう。
溺は「おぼれること」です。沈淪も沈没も沈溺(ちんでき)も、
沈んでしまって本来のものが生かされていない
という事に変わりありません。

地球上には水が沢山あり、
私達はその水によって生かされているわけですが、
気を付けなければならないのも水です。
沈淪・沈没・沈溺しないように致しましょう。

 仏教では娑婆を、苦に満ちた生死流転の海に喩え、
私達を「沈淪の凡夫」と表現します。
一般国語に使われる沈淪は、沈むという意味の他、
哀れな境遇に落ちぶれる事を指しますね。

 沈没はチンモツとかジンモツと読まれてきた仏教語で、
心が穢土(えど)に汚染されて憂鬱なことを言います。
この世は苦海であり、私達は苦海に沈没している沈物です。
一般には船などが沈む事の他、
深酒をして正体をなくすることにも使われています。

 沈溺はチンニャクとも読まれ、
生死の迷いに沈み溺れている様を表す言葉です。
一般には溺れる事の他、
あることに囚われて夢中になる事を指し、
酒色に沈溺する等と使われていますね。

私達の世界には水商売という商売がありますが、
ここの水は特に苦い水であり、
溺れたり沈んだりすると
取り返しのつかない事になってしまうので、
気を付けましょう。
売る方も買う方も苦しむ事になります。
油断をすると、
どんどん水かさが増して文字通りの海になり、
関係した人を地獄に沈めること間違いありません。

 人間の前に広がる苦海ではなく、
無垢(むく)の波が活動する福寿海で、
楽しく遊ぶように致しましょう。
どちらにするかは、自分の心次第です。
三界唯一心と言い、
自分の住む世界を苦にするか楽にするかは
「心の持ちよう」だと、仏様は説いています。

    終わり
 
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編集後記
  
平成19年も終わりの時を迎えました。
皆様にとって、この1年間はどんな年でしたか? 

 行く年の1年を反省し、
来る年を、一層充実した人生のページにしたいと思います。

 本年のご愛読、真に有り難うございました。

                                                 A.K.
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2007年12月 7日 (金)

暮らしの中の仏教語第202話 

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-----------------暮らしの中の仏教語 第202話---------------

*******今回のお話は「死活問題 死生」***********************
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 第202話 通算861話 死活問題 死生

「○○は我々の死活問題だ」と訴える人がいます。
経済的に成り立たないとか、
そんな収入ではやっていけないという事でしょう。
私は、貧乏が原因で死んだという話は、聞いた事がありません。
仏教語としての死活は、
本当に死ぬ事と本当に生きる事を指しています。
積極的に生きることが活ですね。本当の死活こそ問題でしょう

実は、本当に死ぬ事は本当に生きる事に繋がっております。
仏教の死活循然(しかつじゅんぜん)という言葉は、
死ぬ事と生きる事が繋がり巡っていることを指しますね。
臨済録ではこの言葉を
「活の中に死がある事」と説いておりますが、
「死の中に本当の活がある事」にもなりましょう。
これが大死大活です。

 また、仏教には死此生彼(しししょうひ)
という死生観があります。
「此処に死に、彼処に生まれる」ということです。
「私達は生まれ変わり死に変わりしている」という輪廻転生の
別表現とも言えましょう。
生と死は、寒暑の如く去来していますから、
死ぬも生きるも日常の事で、
そんなに驚くようなものではありません。

皆様は、大死一番(だいしいちばん)という禅語を
聞いた事はないでしょうか。
従来抱いていた自分の「ものの考え方」をすべて白紙にし、
心を空しくし、仏道修行に徹する事です。
ここから新しい真の生命が生まれてくるのです。
大死底人(だいしていのひと)とは、
新たな生命を得た人のことを言います。
大死一番大活現成(だいかつげんじょう)です。

 本当に生きようと思ったら、死ぬ事ですね。
いや、「死ぬ気でやれば何でもやれる」ということでしょうか。
私達はどうせ死ぬのですから、
頑張りが死に繋がっても悔いはありません。
命懸けで本物の生き方を追求してみましょう。
死を賭してこそ手に入れられるものが大活現成だと、
古人は教えているのだと思います。

    終わり
 
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編集後記
  
皆様は「大法輪」という仏教雑誌を、購読していらっしゃいますか?
私は愛読者ですが、月刊でしかも盛り沢山の内容を含んでますので、
なかなか読み切れません。

 でも自分の原稿を載せていただいたときは、良く読みますし、
人にも読むのを薦めたくなります。1月号のペンまんだらにある
拙稿を読んでみて下さい。

 人のものは読み切れないのに、自分のものは読んで欲しい。
ちょっと勝手なものですね。

 言い上手より聞き上手、読ませ上手より読み上手のほうが
位階は上でしょう。
この「暮らしの中の仏教語」を読み続けて下さる皆様には、
本当に有り難い事と、敬意を表しつつ厚く御礼申し上げます。
 
 今回もお読み戴き、真に有り難うございました。

                          A.K.

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2007年11月28日 (水)

暮らしの中の仏教語 第201話

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*******今回のお話は「隠元 寒天」***************************
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 第201話 通算860話 隠元 寒天
 
 隠元と言うと、いんげん豆を想起なさる方が多いでしょう。
隠元豆は隠元禅師に因んで付けられた名前です。
隠元禅師は中国明時代末期の禅僧で、
日本の長崎・興福寺逸然の誘いに応じて、
承応3年(1654)に来朝なさいました。
4代将軍・徳川家綱は、宇治に万福寺を建て、開山として迎えています。

 隠元禅師は単なる高僧ではありません。
弟子20人と共に来朝して黄檗宗を伝えましたが、
他にも沢山の中国文化を日本に紹介なさっています。
まず、食文化として「普茶料理」が挙げられるでしょう。
隠元豆は普茶料理の食材としてもたらされた豆ですし、
西瓜・蓮根もそれまで日本にはなかった食材です。
今ではお馴染みとなっている孟宗竹や読経に用いる木魚も、
隠元禅師によって日本に伝えられました。

 また寒天については、こんな話が残っております。
伏見の旅館「美濃屋」主人・美濃太郎左衛門は、
ある冬の日に、戸外に捨てたトコロテンが
乾物になっているのに気づきました。
興味を持った太郎左衛門がこれを隠元禅師に見せたところ、
精進料理の食材として奨励なさるとともに、
「寒天」と命名されたそうです。
寒天の発見者は美濃太郎左衛門、
鑑定命名者は隠元禅師といったところでしょうか。
寒天はその後、大阪の宮田半兵衛によって製法を改良され、
信州の小林粂左衛門によって寒冷地・諏訪の名物にされました。

 現在、寒天には粉末寒天・糸寒天・棒寒天があり、
ダイエット食品の代表となっていますね。
ゼラチンのゼリーとは別の性質を持つゼリーとして重宝がられ、
料理ばかりでなく和菓子の分野でも大変役立っています。
更には、寒天培地として細菌の培養に使われたり、
歯科医療に用いられたり、寒天は大活躍のようです。

 隠元禅師の日本への貢献度は、大きいと言えましょう。

    終わり
 
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編集後記
   
 雪国・新潟の11月末は、冬への準備で大忙しでした。。
庭木の雪づりや家の雪囲いなど、雪に対する防備の仕事です。

 備えあれば憂いなし・・・
この先起きるであろう事に対して、準備する事は
人生においても大切ですね。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。
                                                 A.K.
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2007年11月18日 (日)

暮らしの中の仏教語第200話

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-----------------暮らしの中の仏教語 第200話---------------

*******今回のお話は「時機 時機相応」***********************
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 第200話 通算859話 時機 時機相応
 
次の句のカタカナ部分を適当な漢字に直して下さい。
「行楽のジキ」「入試のジキ」「ジキの到来」。・・・
さて答えは順に、時季・時期・時機となりましたでしょうか。

 ところで「時機」についてですが、
時機を逸する・時機に投ずる・時機相応などと使われ、
また潮時とかチャンスの意で使われていますが、
これも仏教語ですね。

 仏教では時機の時を「教えるに相応しい時」とし、
時機の機を「教えを聞く人々の能力」とします。
時節と聞き手の機根、あるいは時代とその時代に生きる人間、
と言ってもよいかもしれません。

 教えるのは何時でも何でも良いというのではなく、
時機にかなったものでなくてはなりません。
時宜にかなうだけでなく、
機の宜しきにもかなうということです。
このことを「時機相応」といっております。
分かりやすく言えば、
時代と人に相応しい教えを説くということになるでしょう。

 坊さんは、
常に時代感覚を研ぎ澄ませておかなければなりません。
時代と人をシッカリ把握していなければ、
時機相応の教えなど説けないからです。

 この事は、世の先生や親御さん方にも当てはまりますね。
今はインターネットやケイタイの時代です。ネット社会です。
パソコンにさわった事もない大人が、どうやって子供を把握し、
指導する事ができましょうか。
変化の早い情報時代に対応しきれない立法や司法・教育の
有様のことは、新聞やテレビの報道が示すとおりです。

 一口に「時機相応に!」と言っても、
時機到来すれども時機に投ずること儘(まま)ならず、
時機を逸して時機を失い、
あれよあれよと思いながら手を拱くばかり。
そんなことでは、将来が危ぶまれます。
次々と来る時機に、シッカリ投機していきたいものです。

    終わり
 
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編集後記
  
大分寒くなりました。
年末の準備で大変なときでもあります。
皆様、体の健康に留意して、日々ご精進下さい。

 今回もお読み戴き、有り難うございました 

                                                 A.K.
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2007年11月 8日 (木)

暮らしの中の仏教語 第199話

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-----------------暮らしの中の仏教語 第199話---------------

*******今回のお話は「佳境」********************************
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 第199話 通算858話 佳境
 「
 話が佳境に入ってきた」という表現がありますね。 
佳境はクライマックスより広い範囲を指します。
辞書には 1)興味深い所 2)景色のよい所とありました。
 
 六境と言えば眼耳鼻舌身意の六根が映し出す世界を指し、
佳は「よい」という字ですから、
佳境とは〈六根に佳い境〉となるでしょうか。
興味深い話は耳によいし、美しい景色は眼によいものです。
険しい山道を登った後で開ける見晴らしは、
どんな景色よりもよい眺めであるように、
苦悩後のお覚りも、何よりの佳境でありましょう。

 白隠禅師は「物に触れ、境に対して吟ずる心の純一ならば、
即ち恍然として佳境に入らん」とおっしゃっています。
次々と起きてくる物事に対して煩悩のない心で対処すれば、
只の境も佳境に変わるということでしょう。
変に身構えたりしないで、真心を持って物事にあたることですね。

 ところで人間には「疑」という煩悩があります。
人間は何でも疑って掛かるのです。
立場を変えて、疑われる立場に立ってみて下さい。
「はい、そうですか」とは言いたくない心境になるでしょう。

 赤ちゃんの母親を見る目には、何の疑いも入っていません。
だからこそ母なる者は、赤ちゃんを無条件で受け入れるのです。
母と赤ちゃんの間には、真実があるだけです。佳境があるだけです。

 そんな赤ちゃんも大きくなるにつれて
疑をはじめとする諸煩悩に汚れ、純一の心を失っていきます。
煩悩まみれになって、本当のものが見えなくなるのだそうです。

 私達大人は、時々お経を読んで心の垢を洗い落とし、
リニューアルする必要があります。
そのことによって仏性が顕現し、お覚りを得られるかもしれません。
恍然として佳境に入り、
この世をそのまま極楽として過ごせるようになるかもしれません。
やってみましょう。 

    終わり
 
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編集後記
 
 立冬も過ぎ、木枯らしの吹く季節となりました。
時の過ぎ行くのは早いですね。

 春夏秋冬、それぞれによい季節です。
いや、よい季節にして過ごしましょう。
境をすべて佳境と感じる事が出来れば、
年中、幸せではないかと思うのですが、どうなりますか?

 三界唯一心。 
私達の心は自在に「幸」「不幸」を招くようです。

 今回もお読み戴き、ありがとうございました。  

                                                 A.K.
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2007年10月29日 (月)

暮らしの中の仏教語 第198話

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-----------------暮らしの中の仏教語 第198話---------------

*******今回のお話は「聞かん坊 寝坊」***************************
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 第198話 通算857話 聞かん坊 寝坊
 
仏教が十界を説く事は皆様ご存じでしょう。
その七界目に声聞(しょうもん)という世界がありますね。
声聞界は仏界の入り口に当たり、
ここから縁覚・菩薩・仏と奥深くなるわけです。

 声聞は「声を聞く」と書くように、
人の声や仏の声に聞き耳を立てる世界です。
「聞く耳を持たない人」はこの世界に入る事は出来ません。
つまり、仏界に達する事は出来ないと言えましょう。

 「あの子はきかんぼうで困る」などと言いますが、
きかんぼうを漢字にすると聞かん坊となります。
「聞かん」は「聞かぬ」の転です。
また、坊は坊さんの事、転じて幼児を親しんで呼ぶ称ですから、
聞かん坊とは「聞く耳を持たない坊さん、あるいは幼児」
となりましょう。
いや一般に、人の言う事を受け入れられない、
勝ち気な性格の者をそう呼んでいるようです。

 覚ろうとする者・仏になろうとする者には、
「声」を聞こうとする謙虚な心が必要です。
人の言葉は勿論、
特に仏法を説く者に耳を傾けなければなりません。
私達は聞かん坊になることなく、
善く聞いて仏に近づくように致しましょう。

 ところで、聞かん坊・赤ん坊・寝坊・食いしん坊の坊のように、
人間を表す坊は派生語です。
本来は区画された土地のことで、借りて寺の事、
つまり僧侶の住居を指しました。その館の主が本来の坊主ですね。
住居たる意のまま使われている語に、
僧坊・本坊・宿坊などがあります。

寝坊も寝る所だと言いたいのですが、
寝坊が人間を指してしまう為、
寝る部屋は寝室・寝間などと言いますね。

 とにかく、善い意味で使われる坊になりましょう。
聞かん坊・寝坊・食いしん坊などは嫌です。
坊主も嫌な言葉になりました。
坊や・お坊ちゃまから修行の出来た偉いお坊様へと成長し、
声聞界から順次に仏界に行けたらなあ・・と思う次第です。

    終わり
 
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編集後記
 
大阪・青山社発行の拙著「暮らしの中の仏教語法話集」について
おかげさまで第一刷が売り切れ、
今回、第二刷が発行されました。

売れ残るかと心配していましたが、二刷目が発行されるほどで、
大変嬉しく思っております。

今までのメルマガ集大成でもありますので、
どうぞ購入してください。

電話-075・630・6201 青山社に申し込むか
お近くの書店に申し込んでください。

今回もお読み戴き、有り難うございました。 

                                                 A.K.
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2007年10月15日 (月)

暮らしの中の仏教語 第197話

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-----------------暮らしの中の仏教語 第197話---------------

*******今回のお話は「鉢 鉢巻き 鉢合わせ」*****************
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 第197話 通算856話 鉢 鉢巻き 鉢合わせ
 
皆様は「鉢」というと、どんなものを想像なさいますか?
丼鉢・すり鉢・こね鉢・植木鉢・手水鉢など、
鉢と呼ばれる物は沢山ありますね。

しかし鉢の元祖は、僧侶が常に所持していた食器だということを、
ご存じでしたでしょうか。
インド語ではパトラ、これを中国人が音写して鉢多羅、
さらに訳して応量器と称する物です。
日本では鉢多羅の鉢の一字をとった鉢(はち・はつ・はちのこ)
という名称で知られる事になりました。
僧侶が鉢をもって施物を貰い歩く事を托鉢と言うことは、
皆様ご存じでしょう。

 さて、鉢多羅によく似た物は沢山あります。
それらを皆○○鉢と呼び始めた事は、容易に想像できますね。
私達の頭の形もどこか鉢に似ていると思いませんか?
頭を鉢に見立てる事から、
頭と頭がぶつかる事を「鉢合わせ」と言うようになりました。
また、頭に巻く布製の「鉢巻き」というのがありますが、
鉢に巻くから鉢巻きと言い、
精神の統一や気合いを入れるときに欠かせない物になっています。
特に各種のお祭りには、
祭り袢纏と共に鉢巻きが無かったら様になりません。

鉢巻きは、運動会用の紅白鉢巻きのように
其れ専用に仕立てられた物もありますが、
日本文化の産物とも言うべき手ぬぐいで
鉢巻きするのが粋だとされてきました。
字や模様のついた手ぬぐいを頭に巻けば、
「頑張るぞ」という気がふつふつと沸いてくるというものでしょう。

 ところで元祖の鉢多羅は、鉄鉢・瓦鉢・石鉢・木鉢
などに分けられます。
釈尊の弟子に使う事が許されたのは鉄鉢と瓦鉢だけで、
色も壊色(えしき)と決まっていました。
しかし禅門では、釈尊が木鉢を禁止した理由を
垢・簡・因だとしてこれに漆を塗り、
軽い木鉢を食事に使ってきたことを申し添えておきたいと存じます。

    終わり
 
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編集後記
  
日本語には、元外国語がたくさん含まれております。
中国語が圧倒的に多いですが、
中国語だと思っていたのがインド語だったりします。

 仏や鉢は、インド語を漢字で音写したものの一部だけを、
日本語として成立させたものです。
 だから、仏や鉢は日本語としか通用しません。

 尼という漢字をアマというインド語で読むのも、
日本語ならではの術でしょう。

 日本語は面白い言語ですね。興味が尽きません。
国語の先生方には是非、そんな分野にも目を向けて欲しいと思います。

今回もお読み戴き、有り難うございました。 

                                                 A.K.
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